Reiko Ogasawara - 小笠原玲子 –

昭和初期、東京に生まれ、
貴族出身で奔放な父とお茶の先生で厳格な母の元に育ちます。

本人の進路希望は薬剤師になることでしたが、受験に失敗し、たまたま合格してしまった音大のほうに進みます。ここから初めて音楽をやることになるのですが、恐るべき才能を発揮、わずか2年ほどで多方面から注目を浴びるようになります。

卒論のテーマは「農民と宗教音楽」、東京音大を主席で卒業すると、当時「インカの末裔」として、またギネスブックにも記録された5オクターブの声域で世界を震撼させたイマ・スマックの指導も受けながら、ケチュア語でのインカの歌を歌うようになります。
その歌唱力は高く評価され、古賀政男歌謡学院から招聘を受け、後に著名となる歌謡歌手の指導も行うようになります。

こうした華々しい活動の中にありながら、人々の期待の陰にある、彼女を利用しようとする「欲望」に徐々に絶えられなくなっていきます。そしてある事件をきっかけに一切の音楽活動をやめてしまうのです。

結婚し一男を設け、南米に移り住みます。
彼女はその美しい歌声とともに人々の記憶から消えていきました。

晩年、日本に戻り歌の指導を再開します。自然発声法を一般の方に対しても広く、熱心に指導、歌う喜びと幸せを与え続けます。

インカ原住民の歌を聴き取って再現される歌は、自然や文化を歌うものであり、その歌声はやさしく、力強く、またもの悲しくもあります。